Yngwieと初めて本当の意味で語り合った日はまだ寒さ残る初春でした。
ここでは、私のつたない彼との出会いのエピソードを、思い出すままに書き留めてます。
ただし、結論から言えば、ここには追っかけのたわごとが書いてあるのです、
そんな事知りたくも聞きたくもないというお方は、すぐにここから元のページにもどりましょう。
とにかく、この章はとても長いので、よおし読んでやろうという奇特なYngwieファンの方は
一度回線を切って、ゆっくり読んでいただくことをお勧めします。
私が初めてYngwie本人と直接1対1で話をすることが出来たのは、忘れもしない1994年3月11日広島でした。もちろんそれまでにも、サイン会でサインをもらったりしたことはあったのですが、あくまでも大勢のファンの中の一人にしかすぎませんでした。だからこそ、この日の、あまりの偶然の出来事の連発には今でも不思議な縁のような物を感じるのです。
幸運の予感
広島に行くのは、生まれて初めてでした。観光もしたかったのですが、何しろ働く身です、コンサートを見るだけのホントに短い滞在しか許されません。とにかくその日は、数人の友人と新大阪で待ち合わせて、新幹線で大阪を後にし、広島に着いたのは昼頃でした。たまたま私が、直前の東京出張で使った飛行機内でもらった、☆☆☆ホテルの半額割引券を使おうということで話が落ちつき、運良く予約がとれたのでした。なぜそのホテルにしたかはもう一つ理由がありました。同行する友人の心強くも強力なアドバイスがあったのです、彼女の経験からすると、そのホテルであれば、もしかして!っという事が起きる可能性があると言うのです。
みんなわくわくして、そのホテルにまっすぐにチェックインしたのは言うまでもありません。と、そのとき、ホテルのロビーのエレベーターサイドに山積みになってる大荷物に最初に気がついたのは私でした。その大荷物は、どう見てもバンドのそれ、まさか、え、もしやほんとに同じホテル?と誰ともなしに顔を見合わせ、にんまり!わくわくどきどきそわそわしはじめ、もうどうにも心臓の鼓動が激しくどくんどくんといいだして止まらないのです。そこで、さっそく私たちは荷物を部屋に放り込み、ロビーで待機することにしたのです。
そんなに長く待ったとは思いません、おそらく待つこと30分ほどでした、なんと本当に、彼ら、即ちメンバーが現れたのです。しかもしんがりはアンバーを伴ったYngwieでした。このときの事は、ほとんど脳死状態の頭が真っ白けで、結局何がどうなったかわかりません、バンドはチェックインし、部屋へ消えました。私たちはあまりの興奮にそのまま呆然とロビーで座り続け、話し込んでいました。すると程なくして、再びバンドのメンバーが現れ最後にまたもや御大が現れ、そしておそらくサウンドチェックのためでしょう、みんな一団となって車に乗って出かけてしまいました。よくよく周りを見渡してみると、私たち以外にもファンは居たのですが、それはほんの数人でした。無理もないですが、みんな呆気にとられて、ほとんど硬直状態でした。それほど、Yngwieからは得も言われぬオーラが発していました、ごく一部のスーパスターだけが持つ燦然とした後光というか威厳です、そしてなにより他者をたやすくは寄せ付けない特別な雰囲気が漂っていました。それは何度見てもほれぼれする、感動物の光景なのです。ひとこと『カッコイ−!!』の一語に尽きます。
ヒロシマモナムール
みんな、興奮を冷ますため、部屋に戻りました、2時をだいぶすぎて居るのに、食事をするのも忘れていました。とにかく、さっそく、コンサートに出かけるための準備をはじめました。しばらく、部屋で荷物整理をし、現地で合流する友人を待ってから、彼女(私は初めて出会ったのですがすごい美少女でした)の案内で、みんなで屋台村に広島焼を食べに行きました。腹が減ってはコンサートは見れません。それとこの日は、『広島モナムール』をやるらしいと言う情報をつかんでいたので、その話とさっきの衝撃的な出来事でみんなの話題は尽きませんでした。
ところで、この広島の美少女はボーイフレンドが米兵さんだと言うのです、結局彼は、コンサート会場で合流したのですが、彼が重要な鍵を握っていることを、そのときはまだ知る由もありませんでした。
コンサートは想像以上に盛り上がりました、乗りは大阪ほどではありませんが、東京に比べると、地方は凄く楽しい雰囲気、Yngwieもエンジョイしている様子でした。とにかく、その日のギターの音色は、抜群で、さえまくり、後で知った事は、今回のコンサートのサウンドエンジニア氏はギャラがYngwie並の超大物であったそうで、なるほどの腕でありました。そして、出ました、生まれて初めてライブで聞く『ヒロシマモナムール』アルカトラスのライブをついぞ見るチャンスのなかった私には、感涙物の曲です。あの美しいギターソロが始まると、会場が狂喜と興奮のるつぼと化し、みんな狂喜乱舞したことは、想像に難くないでしょう。実を言えば、メロディーは最高なのですが、歌詞の方は解釈によっては微妙な曲なので、周りの関係者はひやひやしているらしいのですが〜。
運命の出会い
コンサートが終わって、私たちはホテルの最上階のバーで、もしや誰か来ないかしらと、淡い期待をしながら、コンサートの余韻を話し合って時間をつぶしていました。広島の美少女のボーイフレンドGIジョーくんがそこには混ざっていました。彼のおかげで、即席英会話教室状態でしたし、アメリカロックキッズ事情なんか聞いたりして、深夜遅くまで、楽しいひとときを私たちは過ごしていました。
そして〜12時ごろでした、黒いブラウスのばかでかい外人が混雑するバーにのっそりとビールを片手に現れたのです。私たちは息をのみました、それはまさしく、ほろ酔い加減のYngwieでした。
全員硬直していました。私は興奮で顔がかぁっと熱くなっているのに、手が異様に冷たくじっとりしたのを覚えています、もしかしたら話ができるかもしれない!!
彼は、ゆっくりとバーを見渡し、バンドのメンバーが居ないことを知ると、残念そうにして立ち去る気になっていたのかもしれません、しかしバーを一瞥したとき、かのGIジョーくんがすぐ近くに座っている事に気がついたのです。彼はコンサートでは最前列でひときわめだって暴れていました。彼の乗りが、日本人の中にあっては目立つのは当然です、Yngwieはステージからしっかり見つけて、彼を覚えて居たのです。
YJM『おまえ、今日、会場に居ただろう!』
GIJoe『はい大ファンであります!』
この一言は、御大をいたく満足させました、そうかそうか、どんなバンドが好きなんだ!と話が始まりました。そして、なんとYngwieは、私たちのテーブルに入り込み落ちついてしまったのです。しばらく高速英会話がなされたのち、御大はテーブルを見渡し、私たち女性ファンに対しても話かけ始めました。『今日はどうだったかな?』たぶんそんな出だしでしょう、こうして御大とのたわいもないおしゃべりが始まったのです。ほろ酔い加減の御大は、身ぶり手振り激しく、声高に私たちとの会話を楽しんでる様子でした。その時私はとうとう、彼に向かって意を決してこう言ったのです、『今日のヒロシマモナムールもカッコ良かったけど、私にはBlackStarが最高だった、あの長く長く延びるトーンを聞いているうちに涙があふれてきたの!』
YJM『え、泣いたの、どうして』
私『だって、凄くエモーショナルだったんだのよ、感動して泣けたのよ、それにわたしにとってこの曲は特別なの〜』私は、ついに、なぜBlackStarが私にとって特別であるかを説明しました。YJM『おお、そうかそうか、こんなふうに俺の音色はすばらしいからなぁ〜ラリラララァ〜〜〜〜〜ン』
その時彼は、BlackStarのあの長くのばすトーンの出てくるところのさびのギターメロを、私の目の前で、名調子の超大声と大きな身ぶり手振りを混ぜて指揮者のようになって延々と心ゆくまで歌ってくれたのです、眼が点になりました。彼はすっかりご機嫌な様子で、できあがっていまいした。そして、しばらく時間がたった頃、今度はバーに新妻のアンバー嬢が不安そうな様子で現れました。彼女はyngwieを見つけると、こちらにやってきました。そして『帰りましょう』と彼を促し始めたのです。ところが話が盛り上がっていたYngwieはええいうるさいわぃ!とばかりに、彼女の言うことを聞かないのです。どうも話の雰囲気からして、二人はここに来る前にも口げんかをしていたようなのです、それで御大は頭を冷やすためにバーに現れたのでした。私はすこしやばい雰囲気を感じました、そこで、アンバー嬢に直接話しかけたのです。Yngwieはたまにはファンとリラックスしたいと思うよ、許してあげてほしい。というような内容の事をつたない英語で言ったつもりでした。彼女は結構素直に私の言葉を聞いてました。
『そうね、そうかもしれないわ、わたしたち凄くくだらないことで口げんかをしたけど、仲直りをしたくて迎えに来たの』と彼女は言いながら、私の顔を見ていました、そして突然彼女はこう言いました。『あなた、名前何、ファンクラブに入ってる?』
わたしはすかざず答えました『もちろんはいってるわよ、yokoって言うのよ。』
彼女はつづけてこうも聞きました『あなた、ファンクラブにビデオと写真と送った事ある?』
『あるわよ、ついこないだも去年のサイン会のを送ったわ』
(註:93年11月に結婚直前のアンバーを伴ってYngwieはサイン会を行っている、楽器フェァーでのことである。私はこのときUSのファンクラブからもらった情報をもとに日程と場所を探し当て、初日に会社をさぼって駆けつけた。その時の様子をビデオ撮影し写真とともにUSのファンクラブに送っていた。
ついでに自分がサインをもらうシーンなどをいれてBGMをつけて編集した、結構凝った出来の小品である)
アンバーは突然Yngwieをつついてこう言いました。『Yngwie!この人がyokoよ!ファンクラブの人!』Yngwie『おぉ、そうかおまえがyokoか!』
そう言って、なぜか彼は握手の手を私に向かって差し出したのです!わたしはその時の、彼の暖かく柔らいけれどもきついほどにしっかりと握ってくれた握手の感触をいまでも鮮明に思い出します。そしてその時、私は彼の手に大きな傷跡があることに気がつきました。
私『Yngwieこれ、手術の跡?』
YJM『そうだよ、結構大変な手術だったんだ、世界一の名医にやってもらったんだ』
私『よかったね、凄く良い音になったよ、完全復活だね、ずっと痛かったの?』
YJM『ああ、実はね、ずっと調子悪かったんだ、いまではすっかり良くなったよ、ありがとう』
とにかく彼ら(特にアンバー)は私の名前を知っていたのです。これには心底驚きを覚えました。
彼らは私が送ったビデオを楽しく見ていたのでした、アンバーにとってはYngwieとのうまれて初めての海外旅行で、とても深く印象に残っていたのだそうです。だから彼女とのその後の会話は、信じられないくらい親密で深いものでした。二人はその瞬間、友達になったんです。その会話に、いつのまにかYngwieが加わっていました、私はシチュエーションがもう夢のようで信じられませんでした。こうして、私は彼と再び1対1で話をはじめました。
YJM『ファンクラブの会長(Anneさん)に会ったことは?』
私『無い、電話で話したことはある。一度、アメリカに出張したとき、でも普段は手紙。』
YJM『今度のアルバムはどうかな』
私『マスコミは絶賛してる、セールスも今までで一番良いんじゃない、凄い反響だよ』
YJM『そうか俺もそう聞いてる、みんなどの曲が好きかな、ライブでやった曲はどう?』
私『もっとたくさんの曲をアルバムからやってほしいな、みんな楽しみにしてるんだよ』
YJM『いやーこれ以上ライブで曲を増やすのはむづかしい、体力的にも限界だ、曲を入れ替えてみたりしてみよう、もっといろいろな曲を練習してるんだが、なかなかステージでやれるようにはまとまらないんだ、それにライブではどうしてもはずせないやりたい曲がたくさんあるし』
私『そうだね、それはわかるわ、BlackStarやFarBeyondTheSunなんかはずせないしね、ところで、今回のアルバム、曲順がいまいちじゃない。曲は全部好きだけど、順番が私は気に入らない』
YJM『そうか?ずいぶん考えて決めた曲順なんだぞ、1曲でも入れ替えたら、全部がたがたになってしまうんだ』このあとえんえんと講釈を聞かされたのですが、その中身についてはもうかなり忘れてしまいました。
彼の発音が聞き取りにくいせいもあって、判らな部分も多いのです。そうこうして話し込んでるうちに、もうバーを閉める時間がとっくにすぎてると、怒り狂う支配人に追い立てられて、私たちは解散したのでした。YngwieとAmberは仲むつまじくくっついて、満足そうに自分たちの部屋へ帰って行きました。
運命の出会いの後で
私は呆然自失で、その夜はほとんど眠れませんでした。
いろいろその日の出来事を思い出そうとするのですが、その日は興奮しすぎて思い出せないのです。今の方がかえって冷静にその時のことがよみがえって来ます。不思議な物です。さて、運命の奇跡は、実はこの日だけではなかったのです。翌日のこともほんの少しお教えしましょう。
翌日、偶然は重なる物で、新幹線駅で一緒になった私たちは同じ新幹線で大阪へ移動しました。
駅のホームで、Yngwieとアンバーは見ている方が赤面するほどいちゃいちゃと仲むつまじく、手を組み肩を組み、一緒にスキップまでして遊んでいるのです。幸せいっぱいの二人がホームで私たちの横を通り過ぎたとき、思わずみんなで『Happy!』と声をかけました。するとYngwieは『Thank you!』と一言、照れた顔で言いました。そして素知らぬ様子でバンドのメンバーの元へ戻って行きました。ほかにもたくさんファンが居たのですが〜。帰りの新幹線の中での私たちは、もうそれはそれは疲れて死んでました。と、しばらくしてなんと食堂車へ向かって大きな物体がシートの横を通りすぎるではないですか。それはまさしくYngwie夫妻でした。小一時間して二人は再び通り過ぎました。そしてすぐに、なんとアンバーだけが戻ってきたのです。
わたしのそばに来て通路に座り込むと30分ぐらいでしょうか、私たちとおしゃべりをしたのです。その時彼女は、結婚式の写真やプライベートの写真を山のようにもっており、私たちはYngwieの親族や結婚式の様子、普段のお姿を拝む事が出来たのです。中には短パン柄シャツのYngwieがいたことを忘れもしません。テニスをしてる、白ソックス姿まで、あったのです。超感動ものでした。そして列車内の放送が大阪到着を告げ、アンバーはあわただしく私たちと別れの挨拶を交わしました、そして本当の別れ際、彼女は私に、1枚の写真をくれました。それは、結婚式で二人がケーキカットをしているシーンでした。私たちは、その後、大阪ライブでの再会を約し、それぞれの帰途についたのでした。その夜、本当は大阪HRC(ハードロックカフェ)でYngwieがギターを進呈するというギターセレモニーがあったのですが、私は家と仕事の事情があって、参加できませんでした。この時もいろいろあったらしいのですが、それは後で友人から聞きました。でも私はすっかり疲れはてて、体力的にも精神的にもその日は行っても持たなかったと思います。とにかくこの二日間のせいで、もういつ死んでもいいような、おなかいっぱいな気分でした。
こうして、このときから始まった私とアンバーの個人的おつきあいとYngwieを交えてのエピソードには、その後に結構いろいろな事が発生するのですが、それはまた別の機会にお話する事にしましょう。
(10/April/1999)
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