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イングヴェイに質問のコーナー
(USファンサイトの翻訳です)

YNGWIEが君達の質問に答える。

YNGWIEへの質問のコーナーでは、現在400通以上の質問が答えを待っているほどビッグになりました!
現在、新しい質問は受け付けておりません。既に順番待ちしている質問のみです。皆様、ご協力、ありがとうございます。
また更新する予定でいます。まずは、答えを読んでみてください。

YNGWIEは個人的にe-mailには返事をしません。
YNGWIEに質問を渡して、空き時間に、ウェッブサイト更新用に、管理人に返答してくれます。(US-FanClub)

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2001年4月7日 カナダでの「パワー・トリオ」ショー
ジョージ・カーク(George Kirk)さんの質問(イングヴェイ、ジョン・マカルーソ〈dr〉、ランディ・コーヴェン〈b〉の3人だけで出演したトロント公演に関して):11:15ごろイングヴェイが登壇するや、弾き殴るような(しかも喧しすぎる) "Blitzkrieg" でショーが始まりました。サイトで見たセットリストからすれば、少し風変わりだと思いました。ステージにはマッツ・オラウソン(key)が居らず、キーボードも無い。続いて "Highway Star" に突入するも、ヨルン・ランデ(vo)が出て来ません。そこで、何かが起こったのだと僕は気付きました。ヨルンとマッツは、記念グッズと一緒に国境で足止めされたのではないでしょうか。そのへん、どうなんですか?

イングヴェイの回答:金曜(4/6)夜のカナダ・トロント公演は、僕にとっても辛いものとなりました。ツアー・マネージャー(その後、諸般の理由で解雇)が必要書類(ビザや労働許可証)を揃えておらず、一部のバンド・メンバーが一部の国で同行できないことが、その週の始めに判かりました。僕は選択を迫られました。そのトロント公演を完全に中止するのか、それともショー・ビジネスの常套句 "The show must go on" に従うのか。前夜にはトロントに比較的近い米国バッファロー近郊で演奏したばかりでしたが、それでもカナダ国内は長いことツアーしていなかったので再来を願うファンから沢山のメールを頂いていました。

プロモーターほか各方面の人々に意見を聞いたところ、次の点で一致しました。「お客さんはイングヴェイ・マルムスティーンを観るためにイングヴェイ・マルムスティーンの公演に来るのだから、(イングヴェイが居るにも拘らず)公演を中止してしまうのは却って失望が大きい」。僕はファンを失望させたくありません。ステージでいつも110%の力を出すのは、そのためです。

本当は、バンド全員であの夜のステージに立ちたかった。国境で足止めされ、記念グッズの箱に座って(Tシャツ等の商品もカナダへの持ち込み許可が下りなかった為)待ちぼうけを食わされた仲間が気の毒です。でも、あの状況下で自分に出来る限りのことをトロントの人々の為にする方が、公演を中止し何も提供せず立ち去るというのよりはましだと思ったのです。

敬具
イングヴェイ・マルムスティーン


2001年3月3日 ランディ・ローズ
ミネソタのマット(Matt of Minnesota)さんの質問:イングヴェイはランディ・ローズのことをどう思っているのですか?

イングヴェイの回答:僕は渡米するまで彼の演奏を聴いたことはなかった。1982年に行ったWHITESNAKEのコンサートで、オジー・オズボーンが前座を務め、そのギタリストはブラッド・ギルズだった。ブラッドは亡くなったばかりのランディ・ローズの代りだったそうだ。後でオジーとランディが共演したレコードを聴いて、僕はひそかに思った。「こんなに凄い可能性を秘めた人物がいたのか。メロディのセンスに優れ、それでいて奇異で強烈だ」と。彼が成長していればどんな演奏や作曲をしていたかを、知ることはできない。残念なことだ。


2001年1月19日 スウェーデン
ペーター・H(Peter H.)さんの質問:僕が合衆国に住んでいたとき、「アルグレンス・ビーラル(車の形の飴)」や「マラブー(チョコバー)」やニワトコ(の花で香り付けした)レモネードなどが恋しくなりました。あなたには、スウェーデンについて特に恋しく思う物はありますか? それとも、あなたは最早101%のアメリカ人ですか?

イングヴェイの回答:スウェーデンのディルチャイブ・ポテトチップや特有のビールが好きだったから、そういうのを懐かしいと思うことはある。でも、あそこの天候は嫌だ! 言っておくけど、僕はこれまでの人生の半分をアメリカで過ごしてきたのだから、ここに居るとすっかり寛(くつろ)げるんだ。とはいえ、僕の心は基本的にヨーロッパ人、つまりヨーロッパ風の文化や趣向を主に抱いているのだが


2001年1月18日 ギターの首回し
Michael Jenssen さんの質問:あなたがやっているように、ストラトキャスターを首の周りに一回転させるのを僕は覚えました。あなたが’80年代に使っていたのと同じディマジオの淡色ストラップも持っています。一つだけ問題なのは、ネジが緩んでギターを落としてしまうことです。これは、どうすれば防げるのですか? それと、典型的なストラトの難点であるピックアップからの干渉で弦が僅かに振動して(唸って)しまうのは、どうすれば避けられますか?

イングヴェイの回答:ストラップが外れるというような問題は、僕にはない。どうアドバイスすればいいのか、ギターを投げる力を加減しなさいと言うしかないだろう。
ピックアップによる唸りの問題については、YJMモデルかディマジオ・HS-3のピックアップに交換すると良い。


2001年1月17日 タブ譜の正確な採譜
マックス・アルスラノフ(Max Arslanov)さんの質問:最近 "Trilogy Suite Op:5" のタブ譜を見つけました。それには第2のテーマ部を3弦スィープで弾くように書いてありますが、友人のギタリストは2弦で弾きます。あなたはどのように弾いているのか、教えて下さいますか?

イングヴェイの回答:Aマイナーのテーマ部のことだと思うが、レコードでは簡単な2弦アルペジオになっている。ここ数年は、もっと手の込んだ3弦か4弦のアルペジオで弾いている。市販のスコアブックの採譜は、大体が85%くらいの正確さで、中にはかなり不正確な物もある。どのくらい正確かは、出版社(ワタナベやハル・レナード等)に雇われた採譜者による。特定のリフやパッセージを僕がどう弾いているかを正確に知りたければ、教則やライヴのビデオをじっくり観る方が良いかもしれない。


2001年2月16日 イングヴェイ自身の好みのアルバム
ジュッド・バートン(Judd Burton)さんの質問:あなたの好きなアルバムは何ですか? 何が切っ掛けでそれを好きになったのですか?

イングヴェイの回答:好きなアルバムを一つだけ挙げることはできない。そう訊かれれば、いくつでもある。ただ言えるのは、レコーディングの過程は非常にきつい仕事だということ。僕にとって最も楽しいのは、作曲や編曲といった初期段階の創造作業。そういうのは大好きだ。実際に録音する作業は、あまり面白いものではない。初めの5〜6枚のアルバムは、レコーディングが大変だった。自前のスタジオを建てて自宅で仕事ができるようになってからは、だいぶ楽になったけどね。


2001年2月15日 クリニックで使う機材
ペドロ・オルテガ(Pedro Ortega)さんの質問:イングヴェイはクリニックでどんな機材を使っているのか、教えてくださいますか?

イングヴェイの回答:クリニックはたいがい店舗や狭い部屋で行うので、僕はフェンダー・ロックプロ1000のアンプを使う。小音量では良い音が出る。小ぢんまりしたクリニック用のセッティングでは、マーシャルは喧しすぎるから。


2001年1月16日 最良と最悪の舞台経験
ベルント・ホフリヒター(Bernd Hofrichter)さんの質問:ステージでの経験のうち、最も嫌だったことと最も嬉しかったことは何ですか?

イングヴェイの回答:何年もの間ステージで演奏しているので、ひとつの出来事を選び出すのは難しい。いくつか例を挙げることならできる。一度、あまりに激しく弾きすぎて指がテイルピースのネジに引っ掛かり、爪が剥がれかけたことがある。ギターが血まみれになったけど弾き続けた。ショーに没頭しているときは、そういうことは気にならないからね。でも結局、ほんとに災難だったよ!

最も良かった経験をいくつか話そう。ひとつは特殊な出来事で、もうひとつはいつものこと。1996年のブラジル公演で、"Far Beyond The Sun" の演奏が始まると、数千人の観客が旋律に合わせて歌い出したんだ。一曲まるまるだよ。信じられない! もっと日常的な「ステージでの最高の瞬間」はといえば、その曲でバンドがフル演奏に入る直前に "Adagio" の冒頭をアコースティック・ギターで弾くとき。目を閉じて自分の過去を振り返るんだ。色々な失ったものや得たもの、今に至るまでの辛かった道のり。亡くなった人々(例えば好きだった母や祖母や兄)を思い出すと、目に涙が溢れてきて一時的に打ちひしがれてしまうんだ。やがてバンドが入って来て、一気に本編へなだれ込む。まるで朝日が昇って再び僕が立ち直るみたいな感じだ。だから、今だに「演奏に感情が込もっていない」と責める人がいると、僕は言葉を失ってしまうんだ。


2001年1月14日 イングヴェイの母親に捧げる歌
ビアンカ・ジェレンチ(Bianca Gerent)さんの質問:イングヴェイがお母さんに捧げた歌はありますか?

イングヴェイの回答:ある。“ODYSSEY”アルバムの中の "Memories" は、1987年に母がガンで亡くなった直後に書いた曲だ。葬儀では僕がアルビノーニの "Adagio" を弾いた。“ECLIPSE”アルバム(1990年)の "Motherless Child" も、母を亡くした僕の気持ちを表した歌だ。


2001年1月13日 ブリッジの調節
トーマス・ヨハンソン(Thomas Johansson)さんの質問:イングヴェイは、ギターを全部同じように調節するのですか? ブリッジが浮動式か固定式かという問題ですが。

イングヴェイの回答:僕が使うブリッジは、固定式ではなく浮動式だ。でも、トレモロ・アームは殆ど使わない。使うとしても、ヴィブラートをかけるためではなく、バレー・コードを鳴らしたりするときにたまにやるだけだ。


2001年1月12日 QUEESRYCHE (ジェフ・テイト)
アンドレアス・フィンケ(Andreas Finke)さんの質問:イングヴェイは、QEESRYCHEのジェフ・テイトについてどう思いますか?

イングヴェイの回答:彼は素晴らしいオペラ・スタイルの声をしていると、前から思っていた。80年代中頃にはロサンゼルスでよく彼等とぶらぶらしていたので、ジェフが僕のバンドに加わるよう頼んでみたかったのだけれど、事情が色々あってその時は実現しなかった。


2000年9月4日 初期の楽曲をコンサートで
ジョン・ロバーツ(John Roberts)さんの質問:お尋ねしたいのですが、1980年代の古い曲を何故もっとコンサートで演奏してくれないのですか? “ALCATRAZZ”や“MARCHING OUT”アルバムのことです。80年代に作られた初期のデモ曲も聴いたことがありますが、良い曲だと思います。それらの再レコーディングを検討してくださいませんか?

イングヴェイの回答:僕は古い曲を嫌っているわけではない。ちゃんとコンサートでも演奏している。でも、そういう曲をあまり復活させようという気にはならない。特に新しい音楽に取り組んでいるときにはね。君が最近のツアーに来てくれたのだとしたら、"I Am A Viking," や "I'll See The Light Tonight" などのオールディーズを演奏しているのに気付いたはずだ。 新しいアルバム(“W.T.E.A.W.”、00年11月発売)では、"Merlin's Castle"をリメイクしてあるよ("The Wizard" に改名)。


2000年9月3日  "You Don't Remember" のネタ
マルクス・マルティアント(Markus Martianto)さんの質問:"You Don't Remember, I'll Never Forget" という歌について気になっています。これは何について歌っているのですか? 僕の大好きな歌なんですが。

イングヴェイの回答:正直に言うと、この歌のアイデアは純粋なフィクションであって、自分の人生における特定の事件を元にしたわけではない。ある人が愛する人と別れたらこう感じるだろうな、というだけのものなんだ。


2000年9月2日 インターネットについて/プレイヤーとしてのイングヴェイの進歩
マルタイン・ファン・デル・ランス(Martijn van der Lans)さんの質問:イングヴェイは自分でインターネット・サーフィンをするのですか? するなら、どういうサイトを観ますか?
それから、自分のギター演奏には今でも進歩が見られると思いますか? それとも、これが最高の域なのでしょうか?

イングヴェイの回答:いや、僕はインターネットはやらない。コンピュータに噛り付くぐらいなら、スタジオに入って曲を書いたり書斎で読書している方がましだ。
二つ目の質問について。自分は常に進歩し続けていると思う。ただ、僕が言う進歩の意味を間違えないでほしい。この場合の進歩とは、技術的な能力ではなく、他のいろんな要素のことを言う。例えば、解釈や取り上げ方など。自分が昔に録音した物を聴くと、僕がどれほど成長したかが判る。初めの頃は肉体的な演奏能力を伸ばすことに専念していたが、今は音楽を構築し創造することの方を遥かに重視している。例えば即興でソロを弾く場合、反復するアルペジオの個々の音符に注意を払って、ヴィブラートをどの個所にどの程度で掛けるかを考えたり、音程が適切かを確かめたり、音量や速度や強勢の配分についての決断をしたりしている。


2000年9月1日 スランプから抜け出すには
ブレンドン・フリュン(Brendon Flynn)さんの質問:僕が初めてギターを買ったき、何週間かは、毎日6時間弾いていました。それが優先課題でした。でも今は、一日置きに1時間って感じでしか弾いてません。ところでお伺いしますが、あなたは、こんなふうに暫くは弾きたくないと思ったことはありますか? 僕は、弾くことに関して前みたいな気分になれないんです。どうにかならないか・・・こんなの嫌だ。

イングヴェイの回答:いいや。僕はそういうスランプに陥ったことは一度もない。いつでも弾いている。テレビを観るときでも、大抵ストラトを膝に置いて小さな練習用アンプに繋いでいる。時折、嫌が応でも期限内に何かを作るよう要請されるが、そんなときは投げ出したくなることもある。それでも、弾くという欲求が失せたことはない。


2000年6月30日 ピッキングの角度
ロベルト・マッタ(Roberto Matta)さんの質問:ピッキングするのに、ピックを弦に対して直角に持つのと斜めに持つのと、どちらがいいですか?

イングヴェイの回答:君にとってどちらが良いかは知らない。僕はどちらかというと斜めにするのが好きだが、いつもそうとは限らない。思い通りの音を出すために必要なことをするだけで、ピックの握り方はあまり気にしない。ピックが弦に当たる角度によって音は変わるが、どうすれば君とって弾き易いかとか好きな音が出るかという問題だ。僕はピックを少し斜めに持った方がコントロールをし易いと思うが、それは僕の個人的な好みであって、他の人にとっては違うかもしれない。2弦以上に渡って非常に速くピッキングする場合は、ピックの角度が少し変わるかもしれない。僕は自分のピッキング・スタイルを分析したことはないので、ピッキングの特別な技術やコツを教えてくれと言われても、どう答えればいいのか分からない。ただ良い音と最高の感触を頑なに求めているだけだ。僕はピッキングしながら自分の手を鏡で見たんだよ。だって、普段はそんなこと考えもしないから。僕のピッキングの特性を分析したがる人がよく居るけど、そんなものは秘密でも特殊でもないと思う。その時に出したい音が出るようにするだけ。僕が神経を集中するのは、音であって動作ではない。


2000年6月29日 USAとジャパンのストラト / フェンダー・ロックプロ
マーク・ミッチェル(Mark Mitchell)さんの質問:イングヴェイがツアーに持って行くのは、フェンダーUSAのYJMシグネチャー・ストラトだけですか、それとも日本製モデルも使うのですか? そして、それらの部品を交換したりすることは(今でも)あるのですか?
もう一つ。フェンダーのロックプロというアンプは、今でもステージ用の装置に組み込まれることはあるのですか、 それともただの「練習用」アンプになったのですか?

イングヴェイの回答:僕はいろんな物に手を出す。フェンダーUSAの通常モデルでもフェンダー・ジャパンのマルムスティーン・ストラトでも。それらをいじったりはせず、ありのままで使う。この2種類に違いは殆どない。ジャパン製はボディが少し軽めかもしれないが。ジャパンからはマルムスティーン・シリーズが数種類出ているが、USA製は1種類しかない。'70年式のラージヘッド・タイプを改造したものだ。他にいつも持って行くのは、'71年頃のヴィンテージ・ストラトを自分でスキャロップしたやつで、僕のお気に入りだ。
フェンダー・ロックプロ・アンプは、(ロック・ライヴの)セッティングに組み入れたことはない。オーケストラのホールでは楽器の音と良く合うから、プラハでなら使った。マーシャル・アンプの荒っぽい音と違いロックプロは滑らかなので、クラシックの楽器と本当に良く合うんだ。マーシャルは間違いなくロック用のアンプだ。来年(2001年)東京で新日本フィルハーモニック交響楽団と共演するときは、おそらくロックプロを使うだろう。因みにその模様はビデオ録画される。今はこれ以上詳しく言えないが、今後の情報に期待してほしい。


2000年5月16日 日本盤のみのボーナストラック
ブライアン・バターワース(Brian Butterworth)さんの質問:イングヴェイの日本盤アルバムのほとんどにボーナストラックが入っているのは、なぜですか? 日本人は僕達アメリカ人よりも多くの曲を聴く資格があるということでしょうか? 僕が今までに見付けたボーナス入りは、“THE SEVENTH SIGN”と“FIRE AND ICE”と“FACING THE ANIMAL”です。"Angel In Heat" や "Broken Glass" や "Casting Pearls Before The Swine" といった曲は、イングヴェイ・ファンなら誰でも聴きたいし聴く必要があるはずです。手持ちのアルバムに入っていないオマケの一曲を聴くだけのために、僕は30〜40ドルも出して日本から輸入盤を買わなければならないのでしょうか? 同じことが、“ANTHOLOGY”と“BEST OF 1990-1999”についても言えます。“BEST OF 1990-1999”に入っている新曲は "Gimme! Gimme! Gimme!" と "Cavalino Rampante" だけですが、“ANTHOLOGY”のインデックスには "Gimme! Gimme! Gimme!", "Flamenco Diablo", "Amadeus Quatro Valvore" という曲名が書いてあります。僕は(イングヴェイの米国盤)アルバムを全て持っていますが、ボーナストラックも非常に聴きたいのです。何か方法はありますか?

イングヴェイの回答:日本盤にだけボーナストラックが入っている理由は、実は日本以外のファンとは関係のない所にある。それは日本のレコード会社による市場戦略で、日本の消費者が安いヨーロッパからの輸入品を待たずに先発の国産品を買うように仕向けるためだ。(国内盤が28〜35ドルぐらいなのに対し、欧州盤は12〜15ドルぐらい)。もちろん君が書いているように、これは日本以外のファンにとっては痛いだろう。しかしこの慣行の背景にあるのは、ボーナストラックを楽しむ権利が誰に有って誰に無いかという問題ではない。日本の会社が外国人アーティストのアルバムを売るための典型的な策略だ。この策略が最初に使われたのは“FIRE AND ICE”(エレクトラ)で、アルバムを日本ポップ・チャートの上位へ確実に送るため(結果、初登場で1位)だった。その後ポニーキャニオンに移籍してからも、僕の日本盤アルバムは全てこの策略で売られている。


2000年4月28日 ギター・ヒーローは軟派か?
モービッド・ワン(Morbid One)さんの質問:イングヴェイが17〜18歳の頃は、女の子に片っ端から手を出していたのかな? もしそうなら、僕にもアドバイスをくれる? 僕は今17歳で、ギターを弾いているんだ。よろしく。

イングヴェイの回答:何年も前に僕がアメリカへ来た頃は、ギター・ヒーローの目的は女の子というのが通説だったが、そういうのは僕には全く無縁だった。スウェーデンでは誰もそんな考え方をしていなかったから。
僕がプロになろうと必死だった頃は、ギターを弾く事と女にもてる事とは全く関係なかった。音楽よりも名声が目的でバンドをやっていた奴らには、女が大事だったろうけど。僕には音楽が全てだった。十代の頃は、非常に真剣で対決的で、音楽にどっぷり浸かっていた。あまりデートもしなかった。実際、世捨て人みたいな生活だった。
僕は、「セックス、ドラッグ、ロックンロール」の感覚を受け入れる心構えは全くしていなかったから、ロサンゼルスへ着いたときは驚いたよ。


2000年4月25日 オール・アコースティック・アルバム
P.ピッチオッタ(P. Picciotta)さんの質問:Yngwieに尋ねて頂きたいのですが、彼はクラシック・アコースティック・ギターのみのアルバムを作ろうと考えたことはあるのでしょうか? アンドレ・セゴビアが作ったようなやつです。本質的に同じ様式でなくても、似たような形式のものを作ってほしいです。全アコースティックのアルバムが出来れば凄いだろうと私は思うのですが。

イングヴェイの回答:とても考え難いね。歌に色を着けたり面白い間奏を加えるためにアコースティック・ギターを使うのは好きだが、アコースティック楽器のみの曲ばかり書いて丸々アルバムにしようというのは退屈でしょうがないだろう。音力法の観点では制限がありすぎるから。思うに、僕は非常にロッカー的な人間だ。僕に必要なのは、ストラトの電気的な荒々しい力なんだ。


2000年2月10日 フィードバック・ディストーションを最小にするには
Panterpnkさんの質問:ペダルで激しいディストーションを掛けたときに起こるフィードバックを最小に抑えたいのですが、何か方法はありますか?

イングヴェイの回答:僕のやり方では、良い方法(コツ)というのは無い。
君は先ず、ボリューム・ノブを回して、目盛のどこでフィードバックが始まりどこで切れるかを知る必要がある。それから、自分の楽器のことを熟知して、あらゆる状況を経験しなければならない。
僕の場合は、全てのギターに充分馴染んでいるので、どうすれば適当かを本能的に感じることが出来る。小指をボリューム・ノブに据えて、必要に応じて本能で調節するんだ。そういうことは考えもせずにやっている。反射的に指が動くんだ。


1999年11月29日 ニコロ・パガニーニ
マーク・プルエット(Mark Pruett)さんの質問:ニコロ・パガニーニの音楽が君に与える影響はどう? 『24の奇想曲』の第5番が君のお気に入りで、その理由は「異常」だからだそうだね。パガニーニから受ける刺激はどう? 君たち二人は確かによく似た音楽魂を持ってるよね。それとも、あるヴァイオリン奏者による独自の演奏の方が好きなのかな?

イングヴェイの回答:えっと、僕がパガニーニに嵌まった経緯は、実に奇妙なんだ。
しばらくは DEEP PURPLE 等のバンドを真似して演奏していたが、ペンタトニック・スケールや型に填まった調子ばかりで嫌になってきた。その頃のブルーズやロックのギター奏者は皆やっていたけどね。その間ずっと僕がいつも頭の中で聴いていたのは、もっと線的でもっと複雑でもっと「あちら」的な音楽なんだ。
そして最初にパガニーニの作品を聴いたのは、ソ連のヴァイオリニスト、ギドン・クレーメルがテレビに出たとき。幅広く表情豊かなヴィブラート、滝のようになだれ落ちるメロディ・ライン、信じられないようなアルペジオ。卒倒するほどだったよ。それからパガニーニに関する本をたくさん買って分かったのは、音楽が素晴らしいだけでなく、彼は人間的にも面白いという事だ。本当にワイルドでクレイジーな奴なんだ。
最近の奏者で僕が好きなのは、イツァーク・パールマン。全くもって、大した男だよ!
ついでに、"Wild Stringdom" という僕のコラムが“GUITAR WORLD”誌に載っているから、読んでみるといい。僕がパガニーニについて語って、奇想曲第5番をギター編曲したという内容だ。


1999年11月20日 インプロヴァイズする方法
Jauthle Nothle さんの質問:私はギター教師からモードやスライディング・モードを教わりましたが、そういったモードを用いてインプロヴァイズするのが上手くいきません。
それから、オーグメント・スケールというのは役に立つのでしょうか?

イングヴェイの回答:それに対して僕はあまり専門的な答えはできそうにない。インプロヴァイズというのは、僕にとってはごく自然なことだから。
そのスケールやモードにせっせと取り組んで、良いフレーズが出来れば自分の耳が判別してくれると信じることだ。インプロヴァイズするのに秘訣なんて無いよ。僕が思うに、それは極めて個人的な才能の問題であって、型に填められるものではない。
そうだな、よかったらオーグメント・スケールも実験してみれば。試した数だけ選択肢も増えるのだから。


1999年10月9日 “THE SEVENTH SIGN”の音色
モハメド・バダウィ(Mohamed Badawy)さんの質問:僕は“THE SEVENTH SIGN”アルバム全体のギター・トーンが大好きです。独特の音色だと思います。何を使ってあの音を作ったのですか?
それと、フェンダーのマルムスティーン・シグネチャー・シリーズのピックアップの形態はどうなっているのですか?

イングヴェイの回答:“THE SEVENTH SIGN”アルバムについては、過去15年間使い続けてきたのと基本的に同じ機材とセットアップを使った。同じアンプ、同じギター、などなど。ただ、ディマジオ製のYJMピックアップを付け足した。フェンダーのストラトで、リアPUはHS-3、センターとフロントPUはYJM、アンプは50ワットのマーシャル・マークUだ。昔はセンターにフェンダーのPUを、両端にディマジオを使っていたが、今は違う。アルバムごとにサウンドが違って聴こえるのは、むしろ、スタジオでの録音技術や、レコーディング・ルーム自体の音響特性や、最終マスタリング段階でのエンジニア的ミキシングなどに起因するのだろう。
新しい1999年版マルムスティーン・モデルは、リアPUがHS-3、センターとフロントPUがYJMになっている。

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