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Monologue 2001

すこしだけ、自分の考えていることを書き留めて行く事にしました。
日記を書く習慣もないし、生来勤勉さに縁遠い方なので、次に書き込むのがいつになることやら、
勝手な独り言なので、内容にもご批判等あるかも知れませんが、そこはある程度のご寛容をお願いします。

25/June/2001 インサイドストーリーを公開したことに関して

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25/June/2001 インサイドストーリーを公開したことに関して


			

インサイドストーリーを公開したことに関して
今回なぜこんな裏話を書くのか、疑問の方も多いかもしれない。
カリスマ性が失われるから、伝説が伝説でなくなるからやめてほしい、そんな意見もあるだろう。ギターヒーローの偶像性にこそ魅力を感じる人も多いはずだ。高慢で自信家で天才的、練習なんて言葉とは無縁の天衣無縫の唯我独尊、そんなヒーローの彼をこよなく敬愛するファンにとって、額に汗して働く人間Yngwie Malmsteen のことを詳しく知ってしまうということは、逆にとても興ざめな事かもしれない、そうだとしたら私のやっていることは間違いである。
天才は1%の才能と99%の努力から成り立つという言葉、これがまさに真理をついているということを、今回まざまざと見せ付けられ目の当たりにしたと思うからこそ、私はこれを書いている。
クラッシック界という彼にとっては未知の巨人の世界に、一人で飛び込みそこにあるジャンルや習慣の壁を突き崩すべく挑む彼の姿は、ステージで示した天才的な芸術創造のきらめきの姿とは似ても似つかない。
彼の天性の素質が開花し、その衝撃的な魂の揺さぶりの瞬間に立ちあった多くのファンにとって、その爆発的に放射されたオーラの衝撃を、単純な感動という言葉だけでは語り尽くせぬことを実感したと思う。才能のあるものがその才能を遺憾なく発揮したらどうなるかを目の当たりにして、本当に身震いがした人もおおいであろう、それぐらい彼のパフォーマンスは衝撃的にオーディエンスの心に刻み付けられた。通常の常識や既成概念を超越したすばらしさを目の当たりにしたときの人々の衝撃、そういったものをファンから怒涛のように押し寄せられた感想から感じることが出来る。あの日私達が受けた感動は、大小の違いはあれど、会場で時をともにした全ての観客のものと同類であったと思う。
最初はインサイドストーリーを発表すべきか迷った。だが、逆にこれは後々に語り継がれる伝説になるであろうからこそ、間違った解釈や誤解を一人歩きさせたくはないとも思うのである。
私の考えはこうである。人生の夢の実現、ひとつの巨大な目標を自らに課した彼が、その最難関の課題に取り組み、それを達成すべく全精力を注ぎ込む姿、一心不乱に働くYngwieの姿をファンに伝えるべきではないかと・・・真実の彼の姿を知ってもらいたいからこそ、彼は今回、私の同行を許したのではないだろうかと・・・

もうひとつ、なぜ今回私がこんなに深くかかわっているのかについて真実を述べておく。
この話は1年半前にさかのぼる、Yngwieとの共演の企画がNJPの年間スケジュールに紹介されたとき、すかさず私はNJPに事実関係の確認の問い合わせをした。そのとき帰ってきた答えが意外だった、YngwieがマネージャのJimを切ったせいで今まで慎重に進めていたコンタクトの糸が切れてしまった、本人および関係者との連絡が思うようにスムーズに取れなくて困っていると。
私はさっそく動いた、ほんの最初の滑り出しだけであるが、両方の連絡の仲介をした。新しいマネージャへの連絡、NJPの担当の方が彼に会いたいという時期に、彼がスェーデンで公演する予定である事など、逆にYngwieサイドにはNJPですでにスケジュールが入っているコト、コンタクトを取らなければならないこと、などなど・・・
そんなきかっけがあったので、だめもとでお願いしたファンサイトでのチケット先行優先発売が実現した。NJPさんのご好意である。もともと面白いいきさつがあった、クラッシックの特等席は会場中央からやや後ろ、ロックファンの志向とは全く逆である。Yngwieファンは音より本人を見たい、前に行きたいファンが多いに決まっている。両者の認識の違いが逆に功を奏した、NJPが考える売りにくい場所を逆にファンクラブが積極的に占領してくれるのだ、お互いに少しは利益があった。
そんなわけで、驚きの前5列ほぼ占領という構図がトリフォニーで実現した、特に最前3列は15席を除きすべてファンサイトの人間で埋まった。奇跡であった・・・
しかし一方の別の見方をすれば、ネットをやってない熱心なファンには不利であった、すなわちこの席配分は決して全てのファンに完全に公平とはいえない・・・
だから、この初日のコンサートチケットの件は特別である、通常のUDOさんが発売するロックコンサートとは状況が異なる、二度と実現しない奇跡だと言っても過言ではない。追加公演がNJPが采配するトリフォニーでなかったこともあり、本当に奇跡は1回しか起こらなかった。

さて、最後にインサイドストーリーで書かなかった2日目のことを書き留めた、ついでに読んでほしい。

17日オーチャードホール
今日は新しい会場である、機材のセッティングや音だしからスタートのはず、間に合うのか?どうするのか?まったく素人の私には彼が何時に会場入りするのかも見当がつかなかった、予想がつかないだけに、私はかなり早めに会場入りして彼が来るのを待つしかなかった。
何故か初日よりもずっと不安だった。

ここは舞台裏が信じられないくらい狭い、私の居所はどこにもなかった。
会場は見る見るセッティングが進んでいた、スタッフは慣れたもので、てきぱきと全てを段取り良く運んでゆく、時折、今朝の新聞記事や初日の反響に関する話でその場が和む、やって良かった今日もしっかりやろうというポジティブな雰囲気が居心地よい。ばたばたしているうちに、昼近くにはほとんどの音響関係、撮影準備が整った様にみえた。
とにかく、この日は会場の随所に配置されているTVカメラの台数に驚いた、全部で10台という、すごいものものしい数だ。これだけ沢山のカメラが、彼一人を追うのか・・・
初日に廻っていたカメラは会場固定の2台だけだった、表向きは客席とステージの高さの差がなく、アップの撮影が難しいのが理由。しかし、Pony Canyonさんの関係者は彼の性格を良く見抜いている、初日は音とりに専念すべき、環境の整う2日目が撮影の勝負と見た。いくらタフなYngwieでも、今回ばかりは全てのプレッシャーを1度に与えて万が一のことがあってはならない・・・

実際、今回のプレッシャーはとんでもない、本当にこれだけのプレッシャーを彼は背負いきれるのか?もちろん自らが言い出したことだ、こんなことをやってみたい、俺の人生のひとつの夢だし必ず実現してみせる・・・と、とはいえ、こんなとてつもないプレッシャーを背負った彼の姿を見るのは初めてだった。
自らのバンドを率いてのライブ撮影は、過去何度もやっている、自分のバンドと自分の曲、全てが慣れているはずだ、あとは全力を尽くせばよい、そして結果の責任は全て自分が負えばよい。もちろん武道館のライブ撮影時のプレッシャーも半端じゃなかっただろうが・・・思い出してみても、彼は最初あがってがちがちだったし・・・(笑)
しかし今回はわけが違う、彼は自分の名前を背負うだけではない、万が一にも失敗すれば世界に名だたるNJPという、ある意味では彼など足元にも及ばないクラッシック界のビッグネーム小沢征爾のオーケストラの歴史と名声に傷をつけることになる、そんな結果を誰も望んではいない。
実際、80人から成るオーケストラ、彼ら一人一人がソロでも活躍している超一流の音楽家集団である。そのプロ中のプロが、束になって彼に挑んでくるステージ、技術と情熱と魂がぶつかり合うステージ上の熱いバトル。もちろん曲を作り上げてゆく過程はすばらしい共同作業であり、チームワークもかなり量の練習を経てよくなっている。しかしこれはスポーツと似た部分がある、ステージでは全ての演奏者が主人公なのだ、ソリストは彼らに負けてはならない、彼らを飲み込み圧倒する技量とパワーがあってこそ、全ての演奏者が彼をコンサートマスターと認め従い盛り立てる。
15日の夜、われわれはそのバトルの過程を目撃したわけだ。
朝日新聞のレビュー記事は、ある意味では的を得ている。相撲にたとえて表現したYngwieのガブリ寄りの意味、オーケストラは決していわゆるYngwieのバックバンドではないのだ。あくまでも彼は招待されたソリスト、通常の第1バイオリンに相当するポジション。主人公がオーケストラとソリストのどちらになるか、それを決めるのは観客であり、結果が全てである。ステージではプロ中のプロの演奏者がその技量と真価を見せあい試しあう格闘場としての性質も兼ねている、その部分では奇麗事だけではすまない。異分野から乗り込んできたエイリアンのような彼を受け止めるふりをしてねじ伏せることも可能なはずだ。それが出来るだけの実力のあるオーケストラである。
しかし実際にはそうはならなかった。理由の一つを私はこう考える。音楽にはジャンルの壁を越えた究極の真理がある、良いものは良いのだ。人の心を打つ感動と純粋にして高潔なるプロ魂こそが全てに勝る、そしてそれを裏付ける技量と情熱。Yngwieの持ち込んだものはそれらすべての条件を満たしていた。だからこそ受け入れられ、支えられたのだ。80人のプロによって、否、バックで支える技術者を含めると100人を越えるプロ中のプロの人々が、今回彼のために、彼の夢の具現化のために動いたことになる。Yngwieはこれらの人々の思いを、結果を、全て背負い責任をとるのだ。
彼はそのことを自覚していた・・・

12時半、背後で聞きなれた声がした、早くも登場。
直ちに音だしをはじめようと、エンジニアのパベルといそいそと準備をはじめている。
挨拶をすると、声ががらがらであった、顔も腫れている。
『寝てない?』
『ああ、ぜんぜんだめだ』
『昨日、秋葉いったんだよね?!』
『ああ、面白かったぜ!』
力強くはないが彼は笑った。すこしは気晴らしが出来たようだが、まったくリラックスできた休日ではなかった様子である。
悲壮な顔でYngwieがつぶやいた
『今日はノーミスでやる、ミスはもうなしだ、完璧に弾いてみせる』
1個のミスは1個のすばらしいプレイで帳消しにしたらいいから、と初日には言って励ましたが、今日はTVカメラが入っているのだ、彼にその気休めは通用しない、何も言わなかった。

ウォームアップ開始直後に気がついた、今日は初日より調子が良くない?凄い疲れている?
体が重そうだ・・・
彼は会場に響くギターの音が気にいらなかった。ウォーミングアップで弾きまくりながらも、サウンドエンジニアとのやり取りを繰返す、マーシャルスピーカのピックアップマイクの位置を勝手にいじって関係者を慌てさせたりもした。
圧倒的に美しい良い響きを持っていたトリフォニーホールとは会場の性質が違っているようだった、エンジニア曰くここはライブな音の会場。
高音が吸い込まれてしまうし、いやな反響が返ってくる。それでも普通のロックコンサートホールに比べたらかなりいい音である。
リハーサルをしながら、最終調整して行きましょう、というサウンドエンジニアの提案に彼はやっと納得した
『最初の会場のほうが10倍いい音だったな・・・』
すこし残念そうな声で彼はつぶやいた
そして一心不乱にウォーミングアップを続けていたが、初日よりはだいぶリラックスしているように見えた、すくなくとも会場の雰囲気は気に入っている様子である。生来のタレント魂が目覚めているのだろう、カメラマンがアングルの確認をしようとすると、きっちりとポーズをとりながら練習を続ける
インサイドストーリーのページで紹介している写真の何枚かはこのとき撮影したものである

カメラテスト、オーケストラ全体の音の確認とレベルあわせ、次々と準備作業が進められてゆく、時間の余裕はまったくなかったが、全員が淡々と予定のテーブルに載ってスケジュールをこなしてゆく。まさにプロフェッショナル、混乱は全くない。

時間どおりにゲネプロと呼ばれる総通し稽古が始まった。
Yngwieはすっかり調子を取り戻しているようにも見えた。初日と同じく流麗に弾きまくり始める。
だが指揮者は敏感に反応した、彼の長丁場のソロパートが来ると、もう大丈夫ですねと言って中断させ、次の楽章、先へ進ませるのだ。私ははっとした、彼はYngwieのコンディションを見抜いている、自分の力の抜きどころすら見失ってる彼を、今燃え尽きないように配慮し、本番で完全燃焼させる体力を温存させようとしている様に見えた。なんて凄い人たちなんだろう、Yngwieが一緒に仕事をしていて、しきりに感心する所以である。

2日目の結果を正直に書くことにしよう
本人のいきごみとは裏腹に、ミスは初日より多かった気がする。沢山のTVカメラが入って居る事が逆に影響しているのであろう、初日に比べればかなり自分自身を確かめながら演奏できているようには見えた。(初日よりリラックスしているように見えたという印象が多いのもそのためだ)
たまにテンポが合いにくかったのは、自分のギターのモニター音を犠牲にして会場の反響を良くしたせいである。オーケストラも演奏が乗ってくるとだんだん熱くなってくる、ギターとの競演のとき、その音圧のせいで、彼は自分のギターの音がまったく聞き取れなかったのではないかと思う。実際前方の席はギターのレベルがひくくオケが最高潮になると聞こえにくいことが多かった。まあ、この現象は初日にもあったが.、2日目はかなり頻繁だったような気がする。オケが一斉に鳴り出すと全く自分の音は聞こえないとリハーサルでも愚痴っていた。それでも彼は全てをギターにこめて、魂の音を奏でた。

途中、彼の集中の糸がふと途切れそうになり、そこでミスをしていた。実際には、彼の心のうちに何が起きたかは判らない。期せずして、彼の目の前の席に彼の息子とおなじぐらいの年の男の子が居た。演奏中にその子がむずかっているときもあったが、そんなときは驚くべきことにステージ上の彼は父親の顔をしていた、一生懸命少年の方を向いて心をこめて演奏を続けていた。
だが、そのことが彼の心を乱したとは思えない、むしろ肉体的な部分、コンデションがもはや限界であったのだと私は思う。全てを一人で成し遂げようとしていた彼の重圧と疲労は、彼の許容できる限界点をとっくに越えていた気がする。だからこそ余計に、エモ−ショナルなプレイが、初日よりも鮮烈かつ強烈であったのではないかと思う。自分の持てる力と気力を全てをたたきつけていた、それが2日目の真実だと思う。これ以上でもこれ以下でもないと確信する。
本番のプレイに関して、これ以上を語るすべを私は持たない。分析できるレベルに冷静ではなかったから。

とにかく今回のコンチェルトの経験をとおして私が唯一言えることは、リハーサルにおいても、本番においても、彼がもはやいままでの彼ではなかったということだ。
おそらくこれは、新しいドアを無理やりこじ開け、新境地に大きな一歩を踏み出した姿である。
仕事に集中する為、家族をも置き去りにして、一人で戦地に乗り込んできたYngwie。私が見た彼は、なりふりかまわず余裕もへったくれもない仕事振りだった。そしてこの姿こそが、彼がいう、命をかけて自分の音楽に取り組んでいるという言葉の、何ものにも変え難い裏付けの証拠であり、疑う余地のない真実の彼の姿であった。

さて次はロックコンサート、もはや彼は今までのレベルの彼でないことを、コンサートを見るファン達は直ぐに感じ取ることだろう、1段階や2段階ではない、数段階を一気に飛び越し、別のレベルのマエストロに大きく進化したYngwieの姿を見たとき、みんながどんな反応をするのか、いまからとことん楽しみである。本来のバトルフィールドであるロックでの戦い振りをトックリと拝むことにしよう。
今後の私のレポートは以前のようにかなりありきたりになるだろう。なぜなら、ロックの現場では彼とファンには少し距離がある。過酷なツアーをこなす彼をすこしでも消耗させないためには、それが必要である。でも忘れないでいただきたい、彼の本質は常に過去から現在そして未来に至るまで首尾一貫してかわらない、彼はいついかなるときも、あの時あの会場できらめきのオーラに包まれて仁王立ちしていたYngwie Johann Malmnsteenなのだから・・・

以上

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