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Monologue 2000

すこしだけ、自分の考えていることを書き留めて行く事にしました。
日記を書く習慣もないし、生来勤勉さに縁遠い方なので、次に書き込むのがいつになることやら、
勝手な独り言なので、内容にもご批判等あるかも知れませんが、そこはある程度のご寛容をお願いします。

25/Nov./2000 ピカソのゲルニカ

31/Oct/2000 天才の天才たる由縁、Yngwie真骨頂!本領発揮の"War to End All Wars"

30/July/2000 好きな事をどこまで真剣にやりとおせるのか?

30/July/2000 来日秘話←お読みになるかどうかは貴方の判断におまかせします

20/March/2000 公認サイトになりました

9/January/2000 いろいろな事がありました

→Go to Monologue 1999

→Go to Monologue 2001


25/Nov./2000 ピカソのゲルニカ

今、ほんとに久しぶりにYngwie以外のアルバムを聴いてます(ボンジョビのクラッシュとジョンサイクスの新譜です)。
ほんと、いい音ですね!かっこいい!(爆)
こんなアルバムを聴くと、Yngwieってやっぱり問題児だなって思います。今回の議論になってる音質やバランスについてです。なぜなら、確信犯だと思うからなんです。おそらくレコード会社のプロデューサーも発売前、デモが届いた時はかなり頭を悩ませたことでしょう。彼らはまさしく重大な決断を迫られたわけですから。
音楽産業!!レコード会社も資本主義社会を生き抜く企業です。利益を追求する会社組織の中で、生半可な製品を世に送り出すことはまずあり得ません、しかも発売枚数が非常に少なく当たるも八卦のその他どさくさまぎれで売ろうとしている新人バンドではなく、確実に会社の利益に結びつけねばならない主力製品の一つとでも言うべき人気アーティストの作品なんですから。
これはおそらくバイトしかしたことない学生だと、想像してもわかってくれるかどうかわかりませんが、血も涙もない弱肉強食の企業戦争それが資本主義社会です。利益追求が第一原則であり、夢やロマンは冒険ベンチャー企業家に任せておけばよく、良くも悪くも大企業と呼ばれるメジャーレーベルを存続繁栄させ従業員を安定的に食わせねばならないのですから・・・利益追求がどれほどの重要なことかは、当事者たちには痛いほどわかっているはずです。
それでも、このアルバムは製品となって世に送り出された!!
産業製品と考えたときにYngwieのこの"War to End of All Wars"をこれだけのプロモーション規模で売り出したのですから!
これは音が悪いから商品にならないと判断すれば返品や作りなおしも要求出来たはずなんですよ、すなわち発売を延期してミックスのやり直しを命じればいい訳です。しかも今回のアルバムにはポニーキャニオンさん1社の命運だけでなく、ヨーロッパのドリームキャッチャー社や新規に契約をかわし徹底的にアメリカでの市場拡大を狙ってYngwieを再浮上させようと真剣に取り組みはじめたアメリカのスピットファイヤー社の評判そして従業員や家族の生活の一部まで担ってしまっているんです。
(Yngwieはそんなことまで考えていると思えませんが、半端じゃなく責任が重い事は十分自覚しています、アメリカでの再度の失敗は今度こそミュージシャンとして本当に命取りになるんですから)

かれら音楽のプロが決断したアルバムの現状での発売、この事実に、彼らの心意気に、Yngwieに対する理解力に、私は心躍るものを感じたのです。彼らはYngwieと生で接し、彼と話し、そして彼の本質を理解したのだ!!と私は思います。
生身の彼を知る者にはこのアルバムもまた否定はできない・・・そう思うのです。
Yngwieの存在そのものが彼らにこの判断をさせたのです。それは決して正解とは限らなくとも。

プロモーションCDを手に入れる前、リスニングパーティの時から音バランスについては他のミュージシャンの作品とは違うなと感じていました。音が悪いのかそれともなんなのか・・・って、でもってプロモCDを聴いて、えええっこの音は・・・と思ったのが正直な第一印象です。ボンジョビなんかを聞き慣れてる今の世代が耳にしたことないような音、懐かしい、その昔テレコから流れて来たロックアルバムの音だったのです。
マネージャにもポニーキャニオンさんにもメールしました、これはかなり危険ですよね、これでいいんでかって。ポニーキャニオンさんはいつも丁寧になんでも答えてくれるのですが、これに対する回答はありませんでした、すなわちかなり危険な賭けであり、軽率に中途半端な形でのコメントが出来る状況ではないのだと私は判断します。

審判はリスナーに委ねられている!!

マネージャからの回答はインタビュー欄に掲載していますが、彼もまたYngwieの意思を尊重する立場にあります。レーベルの担当者たちと同じ側です。そして私も今回はそちら側に立ちたい思います。これがYngwieなんだと!!

突然ですが、ピカソのゲルニカを見たことありますか?

私はピカソは青の時代が好きです、透明でバランスが取れてて、恐ろしく巧くて・・・
初期のYngwieの作品が好きだという方々とおなじだと思います。青の時代しか知らなくて突然キュービズム時代の作品を見せられると、おおなんだこれはと思うでしょう!!でも年代を追ってピカソの作品を眺めて行くと、ある日忽然とあのキュービズムが現れたのではなく、確実にターニングポイントになる作品があって、最後にゲルニカの領域に突入していることが理解できます。

ゲルニカの絵は好きですか?

ピカソはキュービズムに突入した後は、ほとんど元のような普通の絵は描かくなりました。

そして世の中は、へんてこな絵や芸術作品があふれ出しました。

私はゲルニカを見るまでピカソのキュービズムの良さがわかりませんでした、ある日ふとなにげなく画集でゲルニカを見て涙が止めどもなくあふれてきました。

誰だ、こんなところに、こんなへんてこなしわくちゃの紙に、こんな殴り書きのうまへたな絵を描いたのは。それもこんな画廊で正々堂々とこんな値段をつけて売ってるのか!!ばかじゃないか!!あっちの絵は凄く巧いしきれいじゃないか、おなじ作者なんだろ、真面目にかかせたら巧いのに、なんでこんな殴り書きの作品を出品するのを許してるんだ、もっときちんと仕事をするように言ってやれよ!!


でもこれはYngwie Malmsteenが、自分で選んだキャンパスと筆とインクで描いた最新の意欲的なYngwieの作品なんです。
これでもよければ買ってください、と私は言います。

あなたは買いますか?

このコラムは続きます!!


31/Oct/2000 天才の天才たる由縁、Yngwie真骨頂!本領発揮の"War to End All Wars"

 

週末、Yngwieから新譜が届きました、いわゆる先行プレス版というやつです。私は9月のリスニングパーティ以来だったので、少し緊張しながら、CDプレイヤーにアルバムをセットしました。このとき自分自身にこう言い聞かせてました、先入観なしに、聴くぞ!!なにも考えず、まずは聴いてみるぞ・・・

正直に言いましょう、横っ面を張り倒される思いでした、私の全身に衝撃と身震いが走りました!!そして先入観なしに・・・と自分自身に言い聞かせていたはずなのに、やっぱり自分も従来の枠の中のYngwieという自分が描くイメージによって無意識のうちの先入観がはいっていたのだという事実に衝撃を覚えたのです。

今回のアルバムを、みなさんに先入観なしに聴いてください、なんて言うのは、とってもきれいごとであることに気がつきました。

天才の考えていることは天才にしかわからない、私たち凡人の想像をはるかにこえる、超越した世界に足を踏み入れたYngwieが求めるものは、生半可な気持ちで聴くと手痛いしっぺ返しをくらうのです。

彼の曲はBGMにはなりえない・・・・

ええっ、どういうこと?ってかなり不安になってる人も多いでしょう、でも心配しないでください、そういうことじゃないんです。Yngwieはとんでもない奴だと言うことを、改めて認識するアルバムであると言いたいのです。

YngwieはAlchemyで弾きすぎとかメロディがだいなし、といったいろいろ批判を陰でさんざん浴びました、ご存じのとおり、洋楽衰退期の日本においてはずいぶん健闘したとはいえ、Alchemyは歴代のアルバム中では売り上げがあまり伸びませんでした。その理由はとにかくはげしいギターアルバムに仕上げてしまったせいで、一般のロックファンには理解しにくいアルバムだったからでしょう。しかし、彼は凝りてませんでした。いやむしろ予想通りとでも言いましょうか、Alchemyは新世紀に歩みだしたYngwieの新しい楽曲世界の第1楽章、しかもそれはほんの始まりのイントロにしかすぎなかったのです。

彼がAlchemyで失敗したというか満足していないと思った点、それはMagaFanSiteのインタビューでも少し触れていますが、Guitar以外のサウンドがGuitarに比べて手薄だったことなのです、特にドラムサウンドだけは妥協するしかなかった。それが彼をして不満足たらしめていた事であり、次回のアルバムで改善すべき事柄だったのです。

一般人が考えそうな、Alchemyではギターを弾きすぎたから次回は・・・なんて気持ちは、Yngwieの頭のなかには、これっぽっちもみじんもなかった・・・わかっていたとはいえ、今回のアルバムの宣伝文句が古いファンから新しいファンまでみんなが好きになる音・・・これは単に以前のようなキャッチー路線の曲を何曲かはさめて売れ筋路線に走るのかと無意識に思っていた私が甘かったのでした。Yngwieは全く、懲りてるどこるか、Guitarに負けていたベースとドラムのパートをより熱く複雑で美しく仕上げる事に注力して、さらなるAlchemyからの進化を目指したのです。拍手喝采!!

今回のアルバムのテーマをあえてあげるなら、アルバムサウンドとライブサウンドの融合です。

あえて、みなさんに予備知識を与えましょう、予備知識なしに無防備にアルバムに接触して、あやまった方向の無意識の先入観との葛藤によって混乱が生じるのを少しでも食い止めるために、私はみなさんに、アルバム発売を待たずに、ある程度の予備知識をお伝えします。必要のない人も多いでしょう、でも必要な人もいるのではないかと思うのです。

Yngwieが目指しているのはライブで再現できるサウンドとアルバムでの作り込んだ音とのギャップ(格差)を取り払うことです。

彼の野望は、ライブを聴いているよなアルバムだったのです。このアナログな音作りにかなりこだわった様子が、サウンドの音色とバランスの中にはっきりとつかみ取ることが出来ます。ワインでたとえるなら、他のバンドが、たとえばストラトバリウスやシンフォニーXの音色がボジョレーヌーボーを美しいクリスタルのグラスで飲むのに例えるのなら、Yngwieの今回のアルバムWar〜のサウンドはビンテージ物のフルボディの辛口赤ワインをワイン倉庫のタルから直接銀のひしゃくですくって飲んでいる様です。わかりますか?

今回のアルバムはまず、曲間がほとんど空いていません、次から次へと、怒濤のようなリズムとメロディが押し寄せてきます。この手法は本来のアルバム収録曲以外のボーナストラックでも例外じゃないのです。あらかじめボーナストラックが後ろに入ることを意図して制作がなされているとしか思えません。とにかく、曲をいったん開始すれば、最後の曲が終わるまで、だれもこの世界から脱出することができないのです。

Yngwieがこだわった部分を別の表現で例えるなら、アンチデジタルサウンドです。シンセサイザーチックなきゃらきゃらとした音は、今回のアルバムにはどこにも入ってません。猛り狂い、うなりまくるベースと、怒濤の雷鳴のごときドラムと、縦横無尽変幻自在なギターサウンド、そしてやや骨太にしあがったマークの声、マッツのキーボードもアナログ的な音の仕上がりになっています。確かにマークとキーボードの音位置は奥気味です、でもボリュームをあげて聞き込めば、そこにはライブステージで一人で3つの圧倒的な強さを誇る楽器と互角に組みして闘い、勝利の雄叫びをあげるマークの勇姿が目に浮かんできます。なにもかもが生々しいサウンドです、まるで本当にスタジオのライブを聴いているような、ギミックのかけらも感じさせない、激しく美しくそして躍動感。クラッシックの美旋律が、かくも猛々しく獰猛なバックによって激しく輝き、またたき、そして昇華してゆく様が、次から次からと押し寄せてくる曲の流れに身をゆだねるとき、映像の様になって頭の中を刺激します。そうして、中間にやってくる奇跡の瞬間。激しい曲の渦の中で、突然出くわす神秘の湖のごとく、人生の奇跡を、命の奇跡を歌い上げたバラード(そこには恋愛の女々しさは一切なく)美旋律の中にも、命をはぐぐむ音が、魂のぬくもりが、父の愛がきざまれていきます。そして再び戦闘は再開され、いつ終わるともしれぬ果てしない戦いも、エキゾチックな異国のサウンドあとに配置された終息の曲、最後のレクイエムですべての強者どもが葬り去られるまで続くのです。

どんな言葉も、百聞は一聴にしかずです。しかし、みなさんにはあえて、War to End of All Wars を聴くに当たっての心構えをお伝えしました。我らが王者Yngwieという音楽家は、時代に迎合することを一切せず、とことん自分の目指す70年代のロックといにしえの人の心の琴線に触れるマスターピースメロディーと、そしてミレニアムの時代を象徴するハイテク技巧を凝らした超高速Yngwie旋律とを融合し、これらが織り成す古くて新しい音、未だだれも聴いたことも足をっ踏み入れたこともない音世界へと、一人で勝手に扉を明けて、ずんずんと先へ突き進んでいます。

さて、どんな魔法がどんな風にアルバムに封印されてるかを、みなさんもご自分の耳で一刻も早く確かめて下さい。アルバム発売まであと21日です!!いいですか、アルバムを初めて聴くときは、いいかげんな環境ではダメです。騒音のない、静かな場所で、他の事を一切やめて、きちんと心を落ち着かせて、かなず最後まで中断しないで戦いをYngwieとバンドメンバーとともに続け、最後まで闘い抜く決意と覚悟と準備を調えたうえで、封印を解き、じっくりと堪能してください。  by yoko

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30/July/2000 好きな事をどこまで真剣にやりとおせるのか?

 (今までも、似たような話をどこかでしてきましたが、再びたわごと話を書いてしまいました。まとまっていないのですが、しばらくおつきあいくださるとうれしいです。) 

 好きな事をどこまで真剣にやりとおせるのか?というのが、今回の雑文のテーマです。
 
たとえどんなに強い意志があっても、自分の好きな事を最後までやり通すには、努力だけではたりません。その人の運やその人の回りの人間のサポートも必須の条件でしょうが、たとえそれがあったとしても。とことん続けられる人は、本当に少ないと思います。

 Yngwieは、生まれてこの方ずっと己の信じる道をつっぱしって来ました。過去には何人ものマネージャーに裏切られ、ほとんどのマスコミにBigEgoとけなされ敵に回したことも有りましたが、己の信じるものを捨てずに、いままでこうしてやり通してきたのです。

 彼の揺るぎ無い自信がそうさせたのだとよく人は言ます、でも本当にそうなんでしょうか?端からみれば、凄い才能が有るんだから自信満々なのは当然と思われがちですが、たとえどんなに素晴らしい才能があったとしても、人という生き物が、常にいついかなる時もそこまで強く自分自身を信じ切れるものでしょうか。インタビューでの、とことんつっぱって自信満々の風を装っている彼には、男のいさぎよささえ感じますが・・・

 でも少し違うぞということは、みなさんも分かっていることと思います。
 本当の彼は、自分の進むべき道を模索しながら四六時中悩み苦しみ、苛ついてるのではないでしょうか。しかし彼は悩みや苦しみを解決するためにギターを弾くことはできても、そこから逃げ出したり、なにか他のことと引き替えにしたり、あるいは天秤にかけたりする他の手だてを知らないのです。
 そんな彼の純粋な部分が、逆に不器用に見えたり、奢っているようにも受け取られたりしているのではないでしょうか。
 実際に、今までの彼は、世渡りというすべを学んだりしようとしませんでした。本当に彼は音楽以外の世界で生きる方法を知らないのです。だから社会人としてみると彼は真実不器用なのです。そして彼自身は常にもがき苦しんでます。だから立ち止まったり休んだりしないのです。休んでしまうと、彼には失うものが多すぎると思っているのかも知れません、恐ろしくて休めないのかも知れないです。実際に長期で休暇をとるなんて言っても実行できたことは一度もないのです。
 ところで、他のバンドを考えてみて下さい、1年や2年ぐらいなら平気でその間何をやってたか分からないバンドやミュージシャンって沢山いるではないですか。そして数年たてばすっかり昔とはかわっている、それが何年かすぎると再び昔のメンバーとかあつまって、昔成功した音をなぞりはじめる、彼等にはYngwieってどう映るのでしょうか?そういうバンドがすきなファンと、今のYngwieを好きなファンって一緒でしょうか?

 Yngwieを愛し支持するという人は、彼の、自分自身の音世界にこだわり続ける生きざまが好きなのです。彼の音楽やライブパフォーマンスに陶酔し、それにはまった人は、彼が自分の音世界にこだわり続けるのとまったく同じ様に、彼のつくり出す世界をとことん追求するタイプの人が多い様に思います。彼の作った世界に一種の麻薬のような快楽があるからだと思います。ときにはまがい物や似て異なる者すべてにその探究の食指をのばし、滅多やたらにクローンを探しだして聞き漁る、まるで乾きを癒そうとして他の飲み物に手を出しているかの様です。そして時には自らもその快楽をつくり出そうともするのです。

 彼は磁石の様に強烈に、彼に関わる人々の心を惹きつけます。
 彼を好きになった人は人生を賭けても彼を追い求め、彼の世界を追求します。また一方でこんなにも敵が多いのも事実です、しかも彼等Yngwieが嫌いだと自称する人ほど、不思議なことにわざと強く批判をしたり、ひどい場合は嫌がらせをしたりするのです。嫌いなら無視すればおしまいのはずなのに、逆につっかかって来る人達の心理はどうなっているのでしょうか、彼らは何を望んでいるのでしょうか。
 この人達の内何人かは、かつてYngwieによって強い感銘や衝撃を受けた人なのではないでしょうか、彼等は最初に受けた強い感銘や衝撃をさらに深めようとして心の中に大きな期待と想像をつくりあげたところへ、意に反してとことん本人の好き勝手な方向へ進むYngwieにふと出くわしてしまい裏切られたという激しい失望感から逆上して恨みに思ってしまうのではないでしょうか。
 Yngwieが己の置かれている状況に苛つくのと同様に、Yngwieによって彼の世界の深みに、本人が意図せぬうちに捕獲された人々が、強い思いを募らせ苛ついているのかもしれません。ああなってほしい、こうあってほしい・・・と。
 愛憎なのではないでしょうか。

 Yngwieの様な性格の人は他にもきっとたくさん居るでしょう、でもこんなふうに人を巻き込み翻弄させる才能を他には知りません、だからこそ、私たちは好き嫌いに関係なく彼に注目してしまうのです。

 Yngwie Malmsteenはいまだ未完成です。彼が一生かかって構築しようといている巨大な芸術作品は、日々すこしづつしか出来あがらないのです、ガウディの寺院の様に、本人の一生を費やしただけでは完成しないかもしれません。そしてまだ誰も見たことも作ったこともない、巨大な音楽アート作品をかれは構築しようとしているのではないでしょうか?
 私たちは常に、その制作の一過程を眺めているにすぎないのです。

 膨大な水を抱えた川が、まっすぐ海を目指し突き進んでます、途中で曲がったり、流れが遅くなったり、激流になったりもしますが、水は一所には留まらずに、ひたすら海を目指します。私たちはその水をすくって飲むことはできますが、流れを自分の好きにすることはできません。魚達が一緒に泳ぎますが、流れの方向を決める事はできないのです。すべての進むべき方向を決めるのは川そのものです。10数年前までは峡谷を流れる激流だったYngwieですが、徐々にその水かさが増して、近ごろではめっきり大河になりつつあるような気がします。Yngwie J. Malmsteenといジャンルを構築しながら。

  海外メールグループでのYngwieクローンの話題を読みながら・・・・・・・・・

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30/July/2000 来日秘話←お読みになるかどうかは貴方の判断におまかせします


20/March/2000 公認サイトになりました

 既にみなさんもご存じのとうり、2000年3月17日からここMegaFanSiteはYngwieの公認のサイトと称する様になりました。
 ここに少しだけいままでたどってきた経緯みたいな物を書き留めて置くことにします。というのも、何事も、たとえどんな感動であったとしても月日が流れてれば、だんだん人の記憶は曖昧になってきます、この機会に自分自身の中で覚えている事を整理しておくのも良かろうと思うに至りました。しばらくおつき合い下さい。
 そもそも、このHPを本気でやり始めたのは1998年の2月ごろでした、はじめは全くの個人で勝手に作った私設応援サイトでした。ネットを始めようとしたいきさつもひとえにこのような形の応援サイトをやってみたいという衝動からでした。
 最初に猫のページを練習がてらに作りました、このHPからもこっそりリンクしていますので、何人かのかたはお気づきになってご訪問頂いていますが、いまは大きな瑞典産の中年雄猫の世話にいそがしくって、そっちは全く手つかずです(笑)。
 この猫HPを練習がてらにいじることで、HP作製用ソフトの操作や写真データの重さやリンク等を体感し、いよいよYngwieサイトの制作にとりかかりました。
 いま思い起こせば、2年前にこのサイトを作りはじめてからの最初の数カ月は、全く右も左もわからない状態で、人に見せるというレベルではなく、なんとか他の方々に訪問していただけるレベルに到達するにはさらに数カ月を要ましたし、いつもあそこを直したいとかここを直したいと思いながらも、未熟なHPのまま今日まで全てをひきづって来てしまいました。
 そういえば、ここをはじめた当時は、国内外のネット上に今ほどほどたくさんのYngwie関連のサイトは見あたりませんでしたし、あってもその大半は応援サイト風の形式をとっていませんでした、もちろん本家のファンクラブは別格でしたが・・・特に日本にはnaoyukiさんとfujiiさんのHPがかなり初期から有名でしたが、おふたかたとも、Yngwieのファンサイトという物を目指している様子がありませんでしたから、私が自分で日本にはまだ存在してないかもしれないYngwieのファンサイトをつくろうと決意することに障害もなければ先生もいませんでした。 
 さて、時は前後しますが、1996年暮れのインスピレーションツアーの時に、Yngwieのマネージャに会う機会がありました。いわるるオフの酒の席でたわいもない個人的な話をしているとき、彼は私に突然こう言ったのです、実は日本でのファンクラブをフルタイムでやってはくれないだろうか?と、しかし、私自身がフルタイムでの仕事をもっており、生活がかかっている事、ツアーは年に1回の休暇をとって参加していること等を知らせると、マネージャ氏は、申し出を受けられない旨をすんなり理解してくれました。そかしその時、私自身の内心では、どんなにやれるものならやりたかいかという気持ちがありました・・・この頃からです、私の心の中でYngwieが好きで純粋に一ファンとして追いかけたいという衝動と、Yngwieのために役に立てる事をなんでもやりたいという、一見共通しているようで実は矛盾した心の葛藤がはじまったのは。そしてその時、私はマネージャに応援サイトをネット上に作りたいと思っている旨を伝えました。Yngwieのマネジャーは手放しで喜び、是非がんばってやってほしいと言いました。これが弾みになりMegaFanSite!が誕生するきっかけというか動機になったのですが、実際始動するにはさらに1年以上を必要としました。ポニーキャニオンの担当氏にサイトの事を連絡しジャケットの仕様許可を得たり、USのファンクラブとYngwieのマネージャに本格始動の連絡をしたりと、すこしずつエンジンをかけはじめました。そして程なくいろいろな方が訪問していただくようになり、月を追ってその数が級数的に増えてきました。1999年の2月にはついに意を決してYahooへの登録と掲示板の設置を敢行しました。いよいよネット社会へデビューすることを決死の覚悟で決意した時期でした。また、丁度そのころFacingツアーで関係者が来日し、その後も立て続けにAlchemyのアルバム発売などいろいろなイベントが目白押し状態となりました。FacingのツアーのあたりからポニーキャニオンさんやUSのファンクラブを含めたYngwie関係者からの情報がある程度、早く入る様になりはじめました。
 99年の7月頃、とあるページを更新して24時間もたたない間に人づてでYngwieから抗議メールが来たことがありした。(笑)あのページは気に入らないから削除しろと。このメールの直後はかなり気分的に落ち込みましたが、その半面、数日して冷静になってみると、とても嬉しい気持ちになりました。Yngwie本人が、日本語は読めないはずなのに私のページを見て理解しようとしていたという事実に気がついたからです。リアクションのスピードからして、更新の度に見に来ていたという事実も容易に推測できました。このころからです、単なる個人の道楽の私設応援サイトではなくある程度公共性を持つファンサイトとしての責任とインターネットの威力を強く認識しはじめたのは。
 そして運命のAlchemyツアーになりました。Yngwieとは7月にすこし気まずいものがあって、どんな顔してお会うか思案したりもしましたが、その後に抗議もなかったので(ちゃんと直後に謝罪のメールは送ってましたよ)どうかなって思いながら、おっかなびっくり顔を見せると、Yngwieと奥様が開口一番言った台詞が、貴方のページはすばらしい、どうもありがとう、だったのです。私がどれだけほっとしたかは容易に想像できると思います。そして翌日マネージャーが歩み寄ってきて開口一番、おまえのサイトを公認サイトとするから、後でやり方等を詳しく打ち合わせよう、少し変えて貰わねばならない。というのでした。でも結論からいえば、Yngwieのマネージャは公認にするかわり、いわゆる会費を徴収してメンバーを登録する形の完全なファンクラブ形式で、USのファンクラブとほとんど同じように、しかも連携した形ですべて運用してほしいという意向だたったのです。その後のすったもんだは割愛しますが、私は悩んだすえ、このまま一人でファンクラブをやる自信も余力も体力もない事を実感しましたので、マネージャには謝罪とお断りのメールを打ちました、それが今年のお正月でした。
 ところが、急転直下の大異変が起きたのです、Yngwieとマネージャのジムとの決裂の知らせが入ったのは3月早々でした、そしてYngwieからはUSのファンクラブとおまえのMegaFanSite!だけは俺が全面的にフォローするから、このまま何も変わらずに運営してくれというお願いメールが来たのです。私には願ったりかなったりでした、ポニーキャニオンさんとは既にかなりコアな関係が成立していましたし、それ以外でも、Yngwie関係の公式情報はマネージャやUSのファンクラブを通したやりとりが普通でした。ただし、マネジャーは多忙でほとんど有益な情報はめったに提供はしてくれていませんでした。私は直ぐに了解の旨のメールを返しました。そして次にやってきたメールにはYngwieがファンクラブのサイトを利用して発表したステートメントに関するものでした。すでにみなさんもUSのファンクラブのサイトで直接もしくは私のNewのページで確認していただいているとは思いますが。Yngwieがマネージャを切り捨てたときに、世界中の数あるサイトのうち、唯一USのファンクラブと私のMegaFanSite!だけを、正式な情報発信源として指定し選んでくれたのです。この事実を私はとても重く受けとめました。そんなわけで直ちに公認の表明をしたのです。これが全てのいきさつです。なんの作り話もありません。読んで頂いたみんさんがどのような感想を持たれたかは私には推し量りかねます。私自身が今回は当事者であるため、まだ少し興奮していて、冷静に事実を分析出来ていないせいでもあります。ただし、今後発生するかもしれない、いろいろな憶測や誤解を、この際先にすべて排除するため、あえて全ての真実をここに開示することにしました。
 Yngwieとの個人的な信頼関係を完全に確立出来ているかはまだ不安ですが、今後さらに良い方向に進めて行くため自分が何をなすべきかをじっくり考えて行きたいと思います。

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9/January/2000 いろいろなことがありました

私は全く持って性格が怠け者ですゆえ、いろいろ書き連ねたい事はあれど、Alchemyを聴いた後、精神がショートした状態となり、あげくにはF1に2レース連ちゃんで行ったり、Yngwie本人の来日コンサートもあったりして、追撃のように自分自身の体調不良もあいまって、腰を据えて文章を書く気分になれないまま、とうとう越年してしまいました。昨年は何だか説得力のないたわごとをここに書いてきましたが、読んで頂いた方々には、この場をもってお礼を申し上げます。たくさんの方々の激励のメールや感想や暖かいお言葉を頂きました。本当に信じられない気分です。今の自分以外にこんなにもYngwieを熱烈に愛するファンが居たなんて、どうやって想像出来たでしょうか?私の稚拙なる文章表現にもかかわらわず、個人的な思い入れを、まじめに受けとめてふむふむと読んで頂いてる方々には、本当に心から感謝しています。本web siteそのものの運営も含め、今年も昨年同様あまりこまめな改訂は出来ないと思いますが、どうか見捨てずよろしくお願いします。

さて、今日は久しぶりにアルカトラズのメタリックライブとチェイシングイングヴェイを見ました。Yngwieが若いのなんのって、なんと驚くことに胸毛がないのね(爆)、まるでキューピーちゃんみたいにつるつるの胸(笑)!これは即ち、当時のYngwieって歳は21歳だけど、肉体的にはまだ成長しきってないおこちゃまだったって事ですかしらね。もう信じられませんね。
アルカトの時は凄くはしゃいでるっていうか、大きなホール(中野サンプラザ)でライブをやることがもう嬉しくってたまらないっと云う様子がありありと判ります。それに比べ、ほぼ一年後のチェイシングのYngwieは凄く緊張した顔してますね、自分がボスになってバンドを率いてのライブですからね、もう1年の歳月がウソのように子供じみた表情が陰を潜め、今に通ずる顔つきしてますね。でもまだ胸毛は無い(笑)。少しアルカトの時より痩せてるかな。でもギターのすごさは150%増し位で凄いです。ジミヘンのモントルーライブのように、Yngwie伝説の1ページを見ているって気分を味わえます。
ところで、メタリックライブでの面白い体験談をすこし。
はじめてメタリックライブを見た頃(十ン年前〜笑)、ナイトゲームズとかロストインハリウッドあたりの曲(デザートソングはMSG好きだったんで良く知ってました)でアルカトラス以外のチューンは実は当時はあまりなじみがなかったんです。でもライブ見ると凄くカッコよいじゃないですか。で、早速、原典を探しにレンタル屋さんに行って元のアルバム(グラハムのソロとか〜)を借りてきて聴いたのですが・・・あれっ?て感じなんですよね、曲の印象が全く違うのです。なにがって原曲はギターが全然フィーチャーされてない。
地味な感じの曲に聞こえてしまうのです。Yngwieはステージでやる段階で、既に自分のオリジナルのようにギターパートをネオクラシカルなアレンジにしてしまっているのです。それがもう何ともクール。この時にはじめて、Yngwieの恐るべきアレンジ能力とメロディセンスの良さという、今でこそ当然の事のように言われている彼の才能の一端を垣間見た気がしました。こいつはとんでもないヤツなんではなかろうか・・・という予感を覚えたのを記憶しています。もちろんもう一回ライブを見直して、鳥肌が立つのが判りました。
そもそも、私がはじめてYngwieの存在を正しく認識したのが、チェイシングのライブ(元は画像処理入りまくりの変な編集のビデオでライブイントーキョーなる代物)からイカルスのアダージョをはじめアイアムアバイキング他数曲をテレビで見た事でした。Yngwieの名前は聴き知ってましたが、Yngwieと書く事も知らず、どう読むかも判らない様な頃の事です。たまたま新聞の予告記事で見たライジングフォースという名前がとても印象的だった(ポジティブな感じがして他のバンドと異なる印象でした)ため、どんな人たちがやってるかを是非見てみようと言う気になって録画したのでした。いま思い起こせば、当時はいろんなバンドを片っ端から聴きまくっていたなあ・・・そしてこれが衝撃の出会いでした。翌日バイトの帰りにレコード屋を思いつく限り探し歩いて、やっと3件目で1stを入手しました。家にたどり着くなり、おごそかに開封し、ステレオの前で正座して聴きいったのをいまでもありありと思い出します。その日は立て続けに3回聴いた記憶があります。もちろん翌日も・・・そして月日が流れ、今日の私が有るのです(笑)。

ほんのすこしだけの昔話です、また続きはいつか・・・ではでは。

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